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Special Interview 第3回  副支部長 T.Wさん


昭和61年9月6日(土)、朝から頭は痛まないがボーッとした感じで気分がおかしい。
知り合いの医者に連絡したが外出中、土曜日の夕方で医者が見つからず、漸く近くの内科の先生に診てもらい、救急車で3ヶ所の病院を廻り、完全房室ブロックという今迄聞いた事もない病名を知らされ、以後26年間に亘りPMとの戦いに入った。戦いとは私にとってのPMの植え込みは友の会の感謝、報恩、奉仕の精神は理解出来ても、反面PMの感染症との戦いでもあった。

1ヶ月に亘る入院の最後の日にPM友の会の存在を病院より知らされ、入会を奨められ、素直に入会いたしました。入会直後に友の会のお手伝いをしようと故早川名誉会長の自宅での役員会に出席し、本部と支部が同居して東京支部の仕事が始まりました。

Q. 東京支部会報の第4号から携わってこられましたが、会報発行当初のご苦労を、お話し下さい。

支部会報は第一号が昭和59年11月に発行され、内容は違っていたが、印刷の仕事をしていた関係上、平成2年10月の第4号から現在の支部だよりの発行に携わることになりました。機関誌の発行といっても現在と異なり担当者は私一人の手で総てをやらねばならず、支部規約、総会、講演の記事、親睦旅行の記事等、校正、印刷、製本、発送まで殆ど一人で行いました。

平成2年から年1,000円の支部会費が徴収される事になり、本部から助成金と共に財源が潤ったお蔭で内容が少し充実する事が出来ました。

発送が又大変で、始めは我が家で一人でやっていたのですが、皆さんの手をお借りした方が良いとの事で、役員会の会場まで印刷物を運搬して、皆さんで封筒に詰めたり、宛名も始めは手書きでやりましたが、途中からシールに印刷してもらい、宛名を貼ったり、切手や封筒の口を糊で貼ったり、仕上がったものを郵便ポストに入れたり、入れ切れずに他のポストを探したりして、議事は殆ど出来ないで手作業で発送しました。

Q. 支部の行事にも多く参加されていますが、思い出に残るエピソードがございましたら、お聞かせください。

一泊旅行と日帰りを年に各1回行い殆ど参加させて頂きましたが、何時も用意周到に計画され、時には下見をしたりして、事故は一度もなく、楽しい思い出ばかりで特に印象に残るものは思い出しません。強いて言えば、隅田川での屋形船での川下りでしょうか。目的地に着く頃から猛烈な雨が降り出し、船の2ヶ所から雨水が洩れ出し、雷鳴が轟いて近くに落雷があり、逃げ場は無いし船が沈むのではないかと恐ろしい思いをしました。

Q. ペースメーカーを開胸手術でお腹に入れていらっしゃると伺っています。成人としては、数少ない例だと思いますが、日常の具合や注意点等がございましたら、教えて下さい。

通常、PMは成人の場合胸に植え込みますが、私のように5回の植え込みのうち、3回も感染症になり、菌の心配のある胸にはPMを入れられず、開胸手術を6時間かけて行い、腹部に用意された2個の電極を使ってPMの装着終了。その後4年9ヶ月経って6個目のPMを腹部では始めての入れ替えを行いました。

腹部に入れたPMは胸に入っているPMとどの様な感覚の違いがあるか聞かれますが、男性の場合は女性と違って、腹部の方が余裕があるのでPMの存在が薄れて殆ど感じません。ベルトがPMの上にあっても痛みもなく楽に収まっている感じです。胸の場合と違い心臓のそばにPMがあるので、リード線も短くて済み、私見ですが感染症にかかりにくいかと思います。

然し、開胸手術をしてPMを入れるのは大変な事で、幼児を除いては余りいらっしゃらない様です。従って腹部に入れても特に注意する点は無いと思います。